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【映画】未来のミライ【ネタバレ感想】「ミライ」で、待ってて。★★★☆(3.6)

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あらすじ

  くんちゃんのおうちに赤ちゃんがやってきた。名前は「未来」ちゃん。でも、おかあさんもおとうさんもくんちゃんはそっちのけでいつも未来ちゃんのことばかり…。「みらいちゃんのこと好きくない!」そんなくんちゃんの前に現れた、見知らぬ女の子。もしかして…未来のみらいちゃん?

 

 

 

私的な前置き

  先に言っときますと、わたしは細田守監督の映画は苦手です。パッと見の画の華やかさやキャラデサのかわいらしさに騙されてついつい観てしまうんですけども、なんかこう、結局モヤッとして「あーやっぱこのヒト苦手だわ…」となってしまうんですよね。

  特に『おおかみこどもの雨と雪』に関しては苦手を通り越して嫌いレベルでして、あのそこはかとない"のぶみ"臭がどうにも受け入れられないわけです。

  で、まぁもちろんこの『未来のミライ』も、明らかに地雷だからやめとこ…と思っていたんですが、よく読ませていただいているブログさんの記事を読みまして、考えを改めました。

www.club-typhoon.com

  こちらをネタバレ直前まで読んで、「あ、これって今のわたしが観るべき映画なのでは?」と思ったのです。わたしには5歳と1歳の子がいるですけど、この年の差もくんちゃんと未来ちゃんと同じですし、あと最近長男が自転車に乗れるようになってそれにものすごく感動したんで、そういう描写があるなら観ておこうか…と。

 

  結論から言うと、すごく、よかったです。実際何度か泣きました。

  男児を育てたことがあって、しかも下の子がいるって親御さんは、共感できるポイントがありまくりだと思います。くんちゃんの行動がうちの長男とほとんど一致してて、「これやるやる!おんなじ!!」と笑ってしまいました。赤ちゃんのベッドをおもちゃだらけにするの、アレなんのつもりなんですかね…(苦笑)

  でもって、"おかあさん"のリアクションにも、「あーわかる、わかるわぁ…これ、わたしもやってるわぁ…」とまるでいつもの自分を見せられてるような感覚笑。ある意味、母親としての自分を客観視することができました。下の子を叩いちゃった上の子に「なんでこんな小さい子を叩くの⁉︎信じられない!」ってわたしも言っちゃうけど、子どもからしたら信じられないって言われてもって感じだよな…。

  そういう意味でも、「上の子の気持ち」を改めて考えさせてもらえる映画でした。わたし自身が上に兄がいる下の子なので、実際のところの長男の気持ちをちゃんとわかってあげられていなかったのかもしれないなぁ…と。本人にしてみたら無理矢理お兄ちゃんに「させられた」わけですからね。つらいよねぇ…頭ではわかってはいたんだけど…。と、折々のシーンで胸がつまりました。反省。

 

 

これって細田家ホームビデオ?

  ぶっちゃけ、"のぶみ臭"はするんです、それは消えない笑。でも、不思議と今作は受け入れることができました。他作品との違いはなんなんだろう?と観終わってから冷静に考えてみると、これまでの細田作品では「親は子の犠牲になるのが美徳」とか「家族は助け合うのが当たり前」みたいな前時代的家族観、母・父親像が押し付けがましかったんですが、本作ではそれが大分マイルドになっていたように思えます。

  それは多分「こうだったらいいのにな」という"理想の"家族像ではなくて「うちはこうだったんですよ」という"経験則に基づいた"家族観だと感じられたからじゃないでしょうか。わかりやすく言うと等身大って感じ。つまりは細田監督のプライベートフィルムっていう印象を持ったんですよね。ということは今作の真の主人公は、細田監督の投影である"おとうさん"(声は星野源だぜ!)である、とも言えます。自転車の件はおそらく実体験でしょう。自分は何もしていないのに、いつのまにか成長している子どもの凄さ。それがとても嬉しくて誇らしい気持ちなのに、同時に子どもがどこか手の届かない所へ行ってしまったような気がして寂しくもある…あそこはおとうさんと一緒にうるっときましたね。そしておかあさんはそんなおとうさんに「くんちゃんが自転車に乗れるようになったのはあなたが応援していたからだよ」と声をかけるわけです…。

  要するにこの映画、くんちゃんがお兄ちゃんになる話であると同時に、一人の男が名実ともにお父さんになろうとする話でもあるのですよ。…でね、その頑張りをね「褒めて褒めて!」って言ってる映画なの…。どうですか、こののぶみ臭 笑。ダメな人はとことんダメかもしれませんね…。

 でも、わたしは細田監督の映画の中で1番わかりやすくて観やすい映画だと思いましたし、もしかしたら、本作で細田嫌いが克服できたかも?と思いました。

  ただこれをおすすめするとしたら、子持ちの、しかも幼児ごきょうだい子育て中の人限定かな…って気もする。そうじゃない人が見て共感できるのかどうかは、ちょっとわかんないです(・ω・)

 

 

 

以下ネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

不満点をいくつか

 まずくんちゃんの声が、だめだった…。上白石萌歌ちゃんが下手くそって訳じゃないんだけど、できたら本職の声優さんか子役の子にやって欲しかった。やっぱりねー、4歳児特有のたどたどしさがないんだよね〜。だからどうしても「大人の女の人がやってます感」が出てしまってて、絵と声が合ってないのよ…って別にディスってないです。単純に好みの問題です。(多分)

 

  それから、大人側の言い訳じみたセリフが多いのも気になった。特におかあさんの「子どもの幸せを願うと〜」云々とかいうのは、それと片付けない子を叱るのは同列ではないよね、って話。最後の両親の「最高じゃなくても、最悪でなければいい」みたいな会話もな…。いや、それが言いたいのはわかるんだけど、最後の最後に持ってくる必要あったかなぁ?ってね。あそこはくんちゃんのターンなんだから。

  この映画、度々大人同士の会話で疑問符がつくことがあって、「この映画は誰に向けられた映画なんだろう?」と考えてしまうことが何度かありました。大人へのエクスキューズのつもりなら、感覚的にわかることをセリフにする必要はないし、子どもを対象としてるなら「そんなん知らねーよ」でしょ。どちらにしても必要のない会話が多かったと思います。

  あとね、最初に未来ちゃんが来たときの、犬のゆっこが言う「未来と現在のみらいちゃんは同時には存在できない」ってセリフとか、終盤の未来ちゃんの「些細な積み重ねがわたしたちに繋がってる」みたいなセリフも、それいちいち言わなきゃダメ?って萎えました。そんなん観ててわかるわ!って。まぁどの映画でもそうなんだけど、こういう説明セリフ入ってくると、描写力に自信がないの?それとも観てる人を信用してないの?って単純にイラつくよね 笑。

  

 

現実と異世界の境界の曖昧さが心地よい

  本作を観ながら思い出したのは「かいじゅうたちのいるところ」という絵本です。(映画版はいろいろ脚色されてるからちょっと違う)

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ

 

  親から怒られたことによる逃避、異世界と現実の境目の曖昧さ、時間と空間の自由さなど、共通点を多く感じました。というか、この映画の世界観がとても「絵本的」なんですよね。

   子どもの世界って、物理的には家からせいぜい半径2キロくらいの狭い世界じゃないですか。だけどそこに地球3個分くらいの壮大な精神世界が広がっているんです。そしてその境目は非常に曖昧で、現実と異世界(=子どもの精神世界)があっさりと繋がっているんですよね。くんちゃんも、中庭という小宇宙であっさりと現実を飛び越える。この皮膚感覚的異世界観(今名付けた)はとても「絵本的」で心地よかったです。

 

  要はこの映画って、別にタイムトラベルの話じゃないんですよね。全ては成長していくくんちゃんの、壮大な「現在」の話なんです。「ひいじいじ」という存在を知ったくんちゃんが、そこから世界が広がって実践的に「過去」という概念を理解する。未来のみらいちゃんに出会って、お父さんやお母さん、もちろん自分にも過去があって、「未来」があると理解する。そういった芋づる的地続き感(今名付けた その2)で、「時間」という概念を受け入れていく「現在」の話なんです。それがとても実験的で面白かったですね。

 

 

4才のぼくがお兄ちゃんになるまで

  細田監督の映画って基本的にみんな「自分探し」の話だと思うんですよ。時をかける少女も、サマーウォーズも、雨と雪も、バケモノの子も、主人公はみな「自分が何者なのか」「自分の居場所はどこなのか」悩んでいます。

  そして本作のくんちゃんも、「自分とは何か」という命題にぶち当たる。4歳にして笑。

  あの東京駅の地下はくんちゃんの深層心理であり奇妙な遺失物係員はくんちゃん自身なわけで、自分から自分のアイデンディティを証明せよ、と迫られるているのです。なんという恐怖!

  一人ぼっちの国行きの列車に乗せられそうになったくんちゃんは「お父さんの子ども」でも「お母さんの子ども」でもなく、「未来ちゃんのお兄ちゃん」である自分を選択させられる。これはもはやアイデンディティの行政代執行です。

  別になりたくてお兄ちゃんになるわけじゃない。でも、お兄ちゃんにならなければ「お父さん・お母さんの子ども」として認めてもらえない。だってそれは両方セットだから。…これは、上の子の宿命ですよ。嫌でもその宿命を受け入れざるを得ない。そして、お兄ちゃんとしての自分を受け入れるということは、下の子を家族として認めるということでもある。東京駅の地下のシーンは、くんちゃんにとってのイニシエーションだったわけですね。

 

  映画のラスト、みらいちゃんを家族として受け入れることができたくんちゃんは、赤ちゃんのみらいちゃんに笑いかけます。そんなお兄ちゃんに、みらいちゃんも笑顔で答えます。それは二人が初めて、意思の疎通を図ることのできた証。

  ここからきょうだいはもっと仲良くなるし、たくさん喧嘩もするでしょう。きっと「現在」と地続きの、明るい「ミライ」が二人には待っているはず。

 

  …というのが、同じくきょうだいを育てているイチ母親としての希望です。